歴史美術館

庄屋の蔵

明治中期に河北町の堀米家で米蔵として建てられた2階建土蔵です。
玄関は山形市旅篭町にあった老舗で歴史的建造物としても名高い、後藤又兵衛旅館の玄関を復元しております。
内部には、位の高い女性の調度品(奥方様、姫君様の滞在湯治中の諸道具・遊技類等)、旅館の調度品、文人の書、豪商や豪農等の歴 史的品々を展示しております。

行器・外居(ホカイ)

食物を盛って他所へ運ぶのにいる容納具、平安時代以来使用され丸型で黒漆塗りが一般的である。

松竹梅蒔き絵

製作時期:江戸時代
双六は奈良時代以降に大いに流行した遊戯具である。盤面は黒柿でつくられ、側面に松竹梅の蒔絵がほどこされている。遊び方は、出た賽の目だけ進む技法で西欧で行われているバックギャモンと同様である。

六葉葵紋の琴

松平直基(徳川家康直系)が山形城主として寛永21年正月越前大野より入封し、慶安元年6月藩州姫路へ移封した。
その在任当時姫君が愛用した13玄の琴である。琴を納める黒塗りの箱には六葉葵紋が鮮明に印されている。

古しえの家

宮城県大崎市古川の農家が居住していた民家で、江戸後期に作られた平屋木造建築物です。
雪国の為、雪の重さに耐えられる50センチ程もある太さの柱が見事であり、荒々しく手削りされております。
くぎ、くさび等を使用しない組立工法であるのも特徴で、当時の農家の暮らしを垣間見ることができる建造物です。
内部では旅館の歴史を物語る帳場や、代々受け継がれてきた豪華絢爛な屏風などを展示しております。

金雲山王祭風俗屏風

江戸時代後期 作者:不明
当時、士・農・工・商の各階層においても祭りは年中行事としての楽しみであった。この行事を描いた絵と凹凸のある金箔は画家と、よほどの職人の技術を駆使して描かれており技術の素晴らしさを改めて思わせる驚嘆の作。

古しえの家

外観からは農家の骨太い力強さを漂わせている。
中に入ると農家特有の骨格の魅力があり、現代の建築に見られない堂々とした存在感があります。
もちろん、艶よく黒々とした野太く原木の形を活かした梁も又素晴らしい。

雅の蔵

中山町より移築した座敷蔵で、明治中期に建てられた二階建蔵です。
蔵の座敷には縁起がよいとされている槐(えんじゅ)の木をふんだんに使われ贅沢に建てられました。
内部には、山形城主・最上家・水野家等ゆかりの品々、武具や装飾品などを展示しております。

衣装箱

山形城主として最後に任ぜられた水野家(水野忠精、水野忠弘)が愛用した衣装箱、沢瀉の家紋が配してあり風格を感じさせる魅力的な器である。

最上家家紋入葡萄蒔絵手提重箱

最上家の家紋入り提重箱になります。重箱や銘々皿、酒筒、盃を手提げの付いた箱に入れ携行できるよう工夫されたもので、江戸時代のピクニックセットです。お花見や紅葉狩りなど四季折々の物見雄山の際に活躍しました。葉っぱの虫食いなどの蒔絵の表現もとても楽しげです。

龍文様馬具

江戸時代につくられたものです。
向かって右の鐙(あぶみ)は口を大きく開けた龍(阿形)、左の龍は口を結んだ龍(吽形)で作られており「阿吽の呼吸」になっています。また、鞍の前輪(まえわ)龍は口を大きく開き、後輪(しずわ)にいる龍は口を閉じています。龍の目は全て上目になっており、主をしっかり見守っています。

文化施設

行在所

明治14年、明治天皇が東北行幸の際にご休息の場となった歴史ある木造建造物です。
山形市出羽の富豪半沢家が10年の歳月をかけ、多大の財により最高の資材、最高の技術で建造されました。
他県行在所の視察を重ね、拘り抜いて建てられたその内部は美しく揃った柱や、随所に分かる当時の建築技術など、美術性の高い建造物としても一見する価値がございます。
内部には、皇室・皇族から拝領した御品々、ご来館時の記念写真、高見屋へ送られた手紙などが展示されております

彌平治亭

中山町長崎の豪商の母屋で、江戸末期に建てられた木造建築です。最上川の船場に位置していた家を復元しました。
京文化の影響を強く受け、細めの柱が特徴的です。
内部には古美術の車箪笥・長持ち・古美術の神棚を展示しております。

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